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福祉に携わっている僕が、障害とはなんなのかを本気で考えてみた

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障害ってなんだろう

大学で福祉を学び、これまで現場で働いてきた。まだ福祉に携わって12年と短いが、僕の中で障害というものの答えがなんとなく出たので書いてみようと思う。


僕は福祉職に就いて、障害者とその家族に接してきた。精神障害者、知的障害者、身体障害者、視覚障害者、いわゆる、体のどこかに障害があると国が判断した方達だ。勉強したての頃は「障害があって大変だな」と単純に考えていた。だって、体が不自由だったり言葉を喋ることができないだけで世の中から白い目で見られるからだ。


ただ今、障害者やその家族を見て「大変そうだ」と、同情の目を向けることはなくなった。それはなぜなのだろう。

不自由さを感じて初めて障害となる

例えば、腕が動かない身体障害者を例に出します。まず、腕が動かないというのは障害じゃない。腕が動かなくたって補助具を使用してご飯を食べられたら問題ないし、介助者が完全に身体障害者の腕となれば問題ない。腕が動かず、ご飯が食べられないことで、当事者が「不自由だな」と感じることで初めて障害となるんだ。


知的に障害を抱えている方も同じだ。喋ることができず想いを伝えられない、それで不自由さを感じていたらそれは障害だ。しかし、支援者が上手く言いたいことを汲み取って代弁してくれたのなら、それは障害にはなり得ない。


そういえばこの前、視覚に障害のあるおじさんが「目が見えないことは障害なんかじゃないさ。そのおかげで他の機能がみんなよりいいんだからね」と、非常に前向きなコメントを残してくれた。心無い言葉を吐いてくる人もいるそうだが、それ以上に補助をしてくれる方が増えたそうだ。

障害者という呼び方が障害を作ってしまう

生まれつき腕がないだけで障害者と呼ばれ、世間から冷たい視線や言葉を浴びるのはおかしいと思うんだ。なぜって、道具や僕たち人間の支援によって障害ではなくなるんだからね。


障害者というだけで社会へ出られないのだったら、その方が障害だと思う。実際に、充分に生産能力があるにも関わらず障害者というだけで雇用されなかったという事例もあるからね。社会への壁を作ってしまうのは大変な差別だ。是非ともこの呼び方はなんとかしてほしいと願うばかり。

お涙頂戴の番組もやめよう

24時間テレビなんかでは「障害を抱えている方もこんなに頑張っています!」と涙を誘う企画も多くなってきた。ただ、これを見てなんか違うと思うのは僕だけだろうか。なんか障害のある方を下に見ているように感じてならない。当事者はそんな事思っていないはずなのにね。障害者の方のことも想っていますよ、というテレビ番組側の思惑も感じ取れてしまうね。

まとめ

僕らが障害者に向けている「障害」というフィルタを取り外さなければいけないということだけはわかった。実際に記事を書いてみてちょっと答えがわからなくなってきた部分もある。この答えを出すのはやはりやっぱり難しい。

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